千の風になって
千の風になって
"千の風になって"
という歌で、「お墓に私はいません」と唄われていますが、ご住職はどう思われますか。
 
こんなご質問を時々いただきます。
そこで、この詩を誰がどうゆう事情で書かれたのか調べてお答えすることに致しました。
 
まず、誰がこの詩を書いたかということですが。
アメリカに住むメアリーフライさんという女性が書いた詩ということが判りました。
  (彼女は2004年に98歳で死去しております)
 
次に、どういう事情で書かれたかということですが
作者メアリーフライさんがラジオ局のインタビューに次のように答えています。
メアリーさんの友人にヒットラーの迫害から逃れて来たドイツ系ユダヤ人のマーガレットさんという女性がいました。マーガレットさんは母親が老齢で具合が悪かったため一緒に逃げてこれなかったことをいつも悔やみ心配していました。手紙も来なくなったことで益々その思いを募らせていたところに、大使館を通して判明したのは母が亡くなっていたということでした。
 マーガレットさんは迫害の激しくなるドイツに帰ることもできず、神経衰弱を患い毎日毎日泣いて暮らし、ある日作者のメアリーさんに「何が一番悲しいかって、母の墓標の前に立ってさよならを告げる事もできないことなの。」と泣いて訴えたのです。お別れができないことにこだわるマーガレットさんを慰めようと作者のメアリーさんがその場にあった買物袋に咄嗟に書いたのがこの詩だそうです。
 
私のお墓の前で泣かないで下さい。
そこに私はいません。眠ってなんかいません。
千の風に、千の風になってあの大きな空を吹き渡っています。
秋には光になって畑にふりそそぐ
冬はダイヤのようにきらめく雪になる
朝は鳥になってあなたを目覚めさせる
夜は星になってあなたを見守る。・・・・・
 
日本でも昔から「魂、千里を走る」と言われているように、自由になった魂はお墓にだけいるのではなく、会いたいと念じた人とは何時でも何処でも接することができるのです。作者のメアリーさんは母とお別れができず、お墓参りにこだわるマーガレットさんを慰める為に、お墓参りができなくても、「マーガレットのお母さんはいつもあなたの傍にいるのですよ。」という意味を込めて詩を書いたものと思われます。
 ですから「お墓に私はいません」はその時のマーガレットさんを慰めるために、方便(注1)としてどうしても必要な表現だったのだと考えます。
 私達はその人の写真や身につけていた物を通してその人を感じることがあります。同じように位牌、遺影や墓石を通して亡くなった人の魂と触れ会います。殊にお墓は故人が埋葬され最も強く亡くなられた方の魂に触れ会える大切な場所です。
 マーガレットさんと違い大事な人のお墓参りのできる私達は幸せであることを忘れず、感謝を込めてお参りしなければなりません。
皆の拠り所としてこれからもご家族揃ってお墓参りをいたしましょう。
 
注1 
方便
*仏様が法華経の中で衆生を導く為に工夫した教え
*真実へ教導するために逆のことも説く教え
*目的の為に説く便宜の手段
 語例 「嘘も方便」
 


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