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本尊 日蓮大聖人の顕された大曼荼羅・久遠実成本師釈迦牟尼佛です。
由緒 約470年前武田信玄の次男「聖道公」の眼病祈願の為開創されました。
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鐘 の 序
甲府に一精舎あり、上行山要法寺という。天文年中(過去帳その他の記録によると、天文5年−1536−8月5日建立とある。)武田信玄公が次男の聖道の病気(盲目)平療祈願のため建立したというお寺であり、聖道(竜芳軒日香)を葬ったところでもあります。
京都から修徳院日祇上人を是非にといってお迎えをし開山(初代の住職)としました。
その日祇上人も亡くなられてから200余年を経過し、興亡盛衰移り変わりの多いこの地に現在も開基大檀那であるb要院殿聖道公竜芳軒日香大居士の石碑(石塔)を守り、仏堂伽藍がならび、朝夕法華経を読踊する法の声が絶え間なく森や谷に響き渡っております。このたび諸堂が完成して鐘楼堂の梵鐘の銘(記念文を鐘に鋳込むため)を第18世心浄院日良上人から懇望されたので次のように記しました。
新羅の源氏、武田信玄公時代に政治も行き届いてよく栄えました。その後の移り変わりもありましたが要法寺は益々栄えて今回は梵鐘も完成しました。この梵鐘がつき鳴らされますとその鐘の音は山といわず谷といわず、この地上だけではなく霊界にまでも響き渡って、法華経の功徳をたたえるばかりではなくその功力によって仏となることは疑いのないことでしょう。本当に素晴らしいことです。これらはみな檀家の方々の喜びでもあり、誇りでもありましょう。お寺の檀家の方々が睦合い いつもいつもお題目をお唱えをしながら、人生の苦楽を語りあいお茶をくみかわすことはこの上ない地上の浄土であり恵まれたことであります。本当におめでとうございます。
元文2年−1736−丁己2月吉祥日
賜紫身延山六牙院日潮 香を焚いて身を浄め、謹んでお祝いのことばを書き記す。
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