M16  Part1
MGC 金属 M16 (M16‐1)



10月下旬新日本模型・MGCにM4A1R.I.S.バージョンを問い合わせのつもりで電話してみたら現在20%offで最後の1挺と言われ、衝動的に「買います」と言ってしまった。中々商売が上手い。
M4に加工してRISを取り付けているのだからリーズナブルかもしれない。

それにしても物が溢れると思考が停止状態になる。以前から問題であったがその解決策として倉庫1号を作った。とにかく場所を取るもの、箱付長物等はそこに収まった。
M16の最新型がどう変わったのかも興味があったため、整理がてら何となく溜まっていたM16について書いてみたいと思う。

今までに多くのメーカーから幾多のM16が発売されたか即答できないほど存在する。モデルガンに限っても膨大なものになるだろう。私には網羅的に解説する知識は無いので詳しくは将来、モデルガン銘鑑等で取り上げられるのを待つとして、M16の簡単なモデルガン史をまず述べておこう。

今は昔古い話ですが、1973年に国際から登場した角張った感じの実銃ストック付M16が最初だった(GUN誌2007年1月号モデルガン銘鑑Vol.52にコクサイM16発売時の話が載っていますので参照してください)。前後してMGCの金属M16が2番手として発売された。国際のはどういう理由かは知らないが1974年頃からマルシンが扱うようになって、度々改良を続け1977年第2次規制後M16からA1へと姿を変えながら現在に至っている。マルシンの改良型M16系(A1・XM177E2・M655の3種類)はキャリングハンドル等に問題を残していたが、傑作モデルといえるほど当時としては内部まで良く出来ていた。
ブローバックモデルといういう意味ではMGCが断然先行していたため、まだあまり知られていないM16をメジャーな銃にしたのはMGCということになるらしい。
1981年10月号GUN誌の記事を要約すると「マルシン・プラグファイア・カートリッジはまだキャップ火薬でなく紙火薬を1〜4枚ぐらい入れて撃っていた時代で、MGC金属M16系は10万挺以上売れたヒット作として君臨していた。しかし、マルシンもプラグファイア・カートリッジの改良が進みその優位性がユーザーに認められだすとMGC金属は徐々に人気も落ち、プラスチック製M16に世代交代した」という評価らしい。その後モデルガンからエアガン時代になり国際のスーパーウェポンのようなハイブリッドもあったものの一過性で終わり、今のところモデルガンとしてはホビーフィックスの系列が最高峰のものとして異論のないところだろう。

では今回レポートするMGCM16系列の簡単な略歴だけ書いておこう。金属製は単純だがABS製のM16系はかなり複雑なのだ。

もともとはE1だったが、A1ハンドガードに換えノーマル3つ又サプレッサーをスチール製バードケイジ型サプレッサーにしてある。
ディテール、サイズなど中途半端なところはあったが、当時はこの程度でも十分リアルに感じた時代だったのだ。全体のスタ
イル雰囲気は今見ても立派なもので、味のあるモデルといえる。金属M16は亜鉛合金製のため本物より重かった。
この3点を換装すればE1に戻るが、御老体ゆえ換装はし
ませんでした。A2タイプに似ていても放熱の穴は6個しか
なかった。
ハンドガード内の様子
バレル前半はスチールパイプ剥き出しのため溶接部から錆
が出ている。基部には2本のビス止めでバレルがそっくり抜
き取れる。

1971年規制で金属ハンドガンは金色銃口閉鎖となったが、金属長物モデルガンはこの時点では規制対象外であった。そこで1973年亜鉛合金製のM16がMGCから登場し、構造も改造困難なロックド・フローティング・ブリーチ・システムと呼ばれるMGC独自ものが発売されたのだった。
そして、このモデルガンは77年規制は生き残ったものの銃身基部が閉鎖されたためガスは抜けなくなった。規制前はスチールパイプだったバレルもアルミに変更されたりした。

今回のレポートのE1は紙火薬を使用するオープンデトネータ方式でガスが銃口より抜けるタイプであり、第2次規制直前の頃のものだ。所持のみ可というモデルガンだ。
当時は紙火薬3〜5枚ぐらいでブローバックし、快調なモデルガンの方だったと聞いた。

コルト社の呼称M602の改良型3つ又サプレッサー+A2タイプに似たハンドガードを装着していたE1が最初に発売された。E1の意味はエクスペリメンタルモディフィケーション1(改良試作1型)のことで、MGCカタログ1992にはXM16E1ヘビーバレル、グレネードランチャー取り付けテスト・モデルだと書いてある。床井雅美著「M16&ストーナーズ・ライフル」によるとこのタイプはズバリの写真は載っておらず詳細は不明だが、XM16E1として初期型陸軍バージョンの写真はありますね。

そして、数ヵ月後E1に続いてハンドガードを換装したA1タイプが(当時E1とも最初16500円後に17000円最後は18500円、A1実物ハンドガード4500円、カタログによっては3000円というのもあった)、更に1974年にはショート・バージョンのコマンド M‐15 サブマシンガン(当時最初13000円後に14000円)も加わり3種類のラインが発売されるようになった。
最後のコマンドのストックは金属一体の伸縮しないものだったが、これに疑問を持つのは一部詳しいマニアだけだった。
MGCの出していた「M‐16のすべて」によるとグレネードランチャーも発売予定となっていたが実現しなかった。
なお、初期にはスタンダード仕上げが16500円のところミリタリー・フィニッシュという仕上げだと18500円という上級グレードもあったらしい。

MGCM16A1の外観は、初期バットプレート、可動リア・スイベル、三又サプレッサー等はM602に近く、マガジンハウジングのリブやボルトフォワードアシスト付きという点はM603の特徴だった。最後のボルトフォワードアシストについてはレシーバーとフレームとの接合ネジとなっていたため実物と大きく異なるMGCの特徴でもあった。ハンドガードリングは試作型のものだと聞いたことがあるが、良くは分からない。総体的に見てM603初期型とでもいうべきA1であった。

30連マガジンとMGCM16用スコープ(当時3700円)を取り付けたもの。アイピースはニコン製のカメラ用が流用されていた。
スコープの上下左右の調整はダミーで格好だけ。
やっぱりA2系を限定販売してくれるならAR‐15A2デルタH‐BAR、M60MGの2脚装着モデル欲しいなぁ~。

1979年MGキャップが普及しだした頃バリエーションとしてスチール削りだしのバードケイジ型のサプレッサー付刻印カスタム(当時27000円)も作られていた。
このカスタムはマガジンハウジングにA、B、Cの3種の刻印があり、マガジンはパーカライジング仕上げのもあった。
なお、バードケイジ型のサプレッサーは別売(当時2500円)もしていた。このサプレッサーに交換することでよりM603の標準型にすることができた。
この頃は定番のブローバックは紙火薬仕様だったが、スタンダードはMGキャップ仕様になっていた。

1980年にはM655カービンやサテンブラック・モデル等も存在した。これらはハンドガードリングも試作型でないタイプになっていた。1982年ABS製にリニューアルされたことで金属M16は絶版になったと思われる。
MGCカタログ92によると「MGC社内では、この金属シリーズを全てM16‐1シリーズと呼んでいた」とあった。

Part1はここまで、次はプラスチック製M16だが、M16‐2〜M16‐5という区別をしていて複雑だ。


別売していたMGC純正カスタム/スチール削りだ
しのサプレッサー
左端と箱は紙火薬式オープン・デトネーター
用のもの、右2つの弾はプラM16用でCPカー
トリッジとCP‐HWカートリッジ、外観は同じ

M16用30連マガジン、実物マガジンとはラインが
異なるのは弾のテーパーの違いでこうなったと聞
いたこがある。
マガジン挿入だけなら金属プラどちらも可だった。
左からM4A1のもの、ウェポン・システム・シリー
ズM610のパーカ処理のマガジン、金属M16の
もの。
マガジン上部と底部の写真
一番上が金属M16用、中間がM610、下がM4A1のもの、弾の
長さが短い金属用はスペーサーも長い。
マガジンフォロワーは時期によって材質が異なるのか。
低部写真、金属は刻印なしで型も異なる、M610も刻印はある
が写真ではよく判らない、M4A1と同じ。

参考文献:床井雅美著「M16&ストーナーズ・ライフル」
GUN誌1981年10月号、1979年月号
MGCカタログ1992
使用デジカメSONYサイバーショットT9
作成日2006年12月